30代中盤で再受験成功した彼
30代、40代の再受験生はどのような苦労をしたのか?について、30代中盤で医学生となった同期のケースをもとにお話しする。
これくらいの年齢の再受験生の不利って、受験時の面接の点数だけでは無く、むしろ『年齢による記憶の低下や勉強し続ける体力・気合の問題』の方が大きいのではないか?と強く感じた。
彼を見ててほんとにそう思った。
受験勉強と、医学の勉強はその質が全く異なる。
そして、その分量も全く異なる。
すくなくとも医学生6年間は
『再受験時に記憶する内容より、はるかに!!圧倒的に!!たくさんの事を脳みそに叩き込む』
ことになる。
しかもその95%以上は『思考や応用を必要としない単純暗記』である。
これから同期で30中盤で入学した彼(以下、86レビンとする)が、受験成功後どのような人生を送ったかを報告しよう。
プロフィール
都内の某国立大を卒業後、教員免許取得。
高校の理科の非常勤講師として複数の高校と契約しながら生計を立てていた。
小さいころからの夢が『医師になること』であったため、非常勤講師をしながらも医師への夢をあきらめきれなかった。
20代最後の29歳の時、一念発起して再受験を決意。
非常勤講師をしていた高校との契約を解消して、受験勉強に専念することにした(しかも、正規雇用の採用が決まった年に!!)。
苦節6年、ついに雪国大学医学部医学科への入学を果たした。
なお、未婚・パートナー無し
学生生活・試験
持ち前の明るさや、面白そうな雰囲気から周囲との溶け込みは早かった。
15歳以上年齢の離れた人たちにも積極的に交流していくのをためらわずにいく姿勢は素晴らしかった。
周囲も初めは年齢差に若干ためらうも、すんなり彼を受け入れた。
部活動にも所属し、充実した学生生活をスタートさせていた。
転機が訪れたのは2年生。
おそらくどこの大学もそうだろうが基礎医学の始まりである。
解剖学、生理学、組織学、生化学、病理学、細菌学、、、、、
どれもこれもとてつもない暗記量をが強いられたのだ。
86レビン:
うーん、なかなか覚えらんないんだよね。
TJ君はどうしてるの?薬学時代の知識は生かされる?
時折勉強に関して相談してくる彼の勉強方法は、覚えたいことをひたすら紙に書きなぐるという力技であった。
これは昔からある暗記法の一つかもしれない。
中学・高校の定期テストレベルの暗記量であれば何とかなったかもしれない。
しかし医学部のそれはレベルが違う。
単純暗記に頼ったところでどうにもならないレベルなのである。
若い脳みそ達でさえ、強引に語呂合わせなどを作ってなんとか覚えようとしている最中、語呂合わせは邪道だ!とひたすら力技で押し切ろうとしていた。
ちょっと不器用な人かもしれないなと思い、心配になったが自分も必死で勉強していたため、あまり気にかけている余裕はなかった。
いよいよ試験一週間前ぐらいになると、彼には徐々に変化が認められた。
明らかにイライラし始めたのである。
それまでグループで勉強していた彼は、集中するからという理由で周りと距離を取り始め、一人でこもって勉強するようになった。
ひたすら書きまくって体で覚えるというスタイルで勉強していた彼のノートには、狂気とも言えるほどの膨大な量の医学単語の書き込みがされていた。
86レビン:
TJ君、テスト自信ある?
どうしよう。僕覚えられない、、、。
こんなに暗記が駄目だなんて気づかなかった。
受験中はあまり感じなかったんだけど。。
どうしてだろう、やばいな。
最近焦りで本当に寝られないんだよね。
寝ないとさらに覚えられないし悪循環だわ。。。
TJ:
そうなんですよね。
こんなに苦労するとは自分も思いませんでしたわ。
そう考えると受験勉強ってたいした暗記量じゃなかったんですね。
受験ってほんとに、『暗記した内容をいかに応用させるか』ってのが大事なんですね。
まあとにかく頑張りましょうよ。
86レビン:
そうだよね!よかった。
僕だけじゃないね、そう感じていたのは。
うん、頑張ろうね!
彼がイライラし始めた原因の一つとして、 周囲と自分との歴然とした地頭・要領の良さの違いである。
彼よりも全然後に試験対策を始めた若い連中が、数日間の勉強であっという間に勉強を進捗させてしまうことである。
これに関しては、まあ、自分も正直参った。
『世の中にはこんな優秀な連中がいるんだな』
スペックの違いを間近で、まざまざと見せつけられる。。
それはそれは焦る。
こんな連中ばかりいる世界へ飛び込んでいくんだから、ホントにやっていけるだろうかと医師になる前から不安になるのだ。
ただ自分の場合はその地頭の差を埋めるツール『手帳勉強』に絶対的な自信があったため、焦りは感じてなかった。
結局、12教科あった本試験のうち、彼は7教科が再試験になってしまった。
再試験、再々試験を経た後、、、
彼は2年生を留年することになった。
留年決定した彼がその後とった行動は、部活など課外活動は極力控え目にし、勉強に集中する環境を整えることであった。
自分が図書館に行った時、机に向かう彼を見なかったことはなかった。
いつも眉間にしわを寄せて机に向かうレビン。。
会うたびにペンダコは大きくなっていたような。。。
不憫に思う事もあった。。。
自分は彼の人柄が好きだったため、アドバイスを求められたらできる限りの事はしていた。
86レビン:
TJ君心配してくれてありがとう。
大丈夫。
とにかく、12年かけてでも卒業する事を目標にするよ。
13年以上になると除籍になっちゃうからね。。
そう考えたら、最近は焦りは減ってきたよ。
でも、油断は禁物だね。
じ、12年かけて卒業!!!???
正直、自分の想像をはるかに超えた内容だった。
そこまで追い詰められていたのか。。
それほどの長期間、この生活を耐える覚悟をしているのか。。。
毎日毎日、彼は大学の図書館に通った。
盆と正月以外は図書館にいたのではないか?というくらい。。。
授業が終わればすぐに図書館へ向かいそこから閉館の22時までひたすら授業ノートと教科書、過去問と向き合っていた。
相変わらず、ノートへ書きなぐり続けていた。
何度も何度も。
空手家が何度も正拳突きをするかの如く、何度も何度も、彼なりに彼の脳みそに刷り込み続けた。
最終的に
自分達の卒業より遅れること3年、遂に彼は医学部医学科の卒業を勝ち取った。
そして、国家試験も一発合格!!
後期研修2年目を迎える自分に、泣きながら電話で報告をしてきた。
つられて泣いてしまった。
あの不憫そうな後ろ姿を思い出すと、涙が出てきた。
大きな身体を小さくして。。。
『がんばりますから!勉強しますから!お願いです!卒業させてください!誰にも迷惑かけませんから!身体がでかくても、迷惑にならないよう、小さくなって勉強しますから!お願いです!』
って言ってるような背中だった。。。
もうこれで、あの大きな身体を小さくする必要は無い。
今日は、レビンと久々に再会だ。
何年ぶりだろう。
かなり遅れたが、お祝いや。
しこたま奢っちゃおう!!